砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

プラトニックセックスー愛の刹那に欲しかったもの

本当に、ふと思い出した。

かつて、飯島愛と呼ばれた女がいたことを。「元AV女優で、その後地上波で人気タレントになり、早くに引退し、そして孤独な最期を遂げた女」言葉を選ばずに世間一般のイメージを文字にすると、そうなるだろう。彼女が亡くなった時、某雑誌がインパクトの強い追悼ページを掲載したことで、それは電子の海でオモチャになり、若い女性を、あるいは夜の街に生きる女性たちを蔑む笑いの種となった。

今よりももっと、アダルトコンテンツに出演する人々への差別が酷かった時代。実際に、彼女が地上波テレビやファッション雑誌などの「普通の人が目にする媒体」に登場することをよしとしない人たちも多かっただろう。彼女は自身の経験も踏まえながら、STDやHIVの啓蒙活動にも熱心に取り組んでいたが、それもまた、心無い人たちの好奇の目に歪められていたことも容易に推測できる。私は彼女がアダルトコンテンツに出ていた時期や、深夜番組でTバックの女王と崇められていた時代を知らない。私が知っているのは、痛いほど真っ直ぐに自分の言葉を紡いでいた姿である。「サンデージャポン」や「金スマ」で何にも誰にも臆することもなくカメラの前に立つ姿である。子供だった頃の私は、その凜とした姿になんとも言えぬ、憧れに近い何かを抱いたものである。

そんな彼女の自伝、『プラトニックセックス』。いつか読んでみたいとずっと思っていたのに、他のお利口さんな「読んでみたいリスト」に埋もれて機会を逸していた。久々に読書でもしてみるか、と思ったときに、ふと彼女のことを思い出したのも何かの縁だろうか。

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赤裸々、自伝的、という謳い文句の通り、彼女の半生について、彼女自身の言葉で紡いであるーと言いたいところであるが、ゴーストライターもいたようなので(と言っても公になっている以上ゴーストとは言えない気もするが)どこまでが本心で、どれが彼女自身の言葉なのかは定かではない。文筆家ではないので、砕けた表現も多いし、話の展開が読み物として優れているわけではない。

しかし、幼少の頃の鬱屈した家庭、彼女がいかにして夜の街の虜になり、そしてアダルトコンテンツに足を踏み入れたのか、そしてその裏側にどんなドラマがあったのかをあけすけに書いてくれている。当時、彼女が書いたであろうメモや日記もそのまま掲載されている。彼女のまっさらな気持ちを読んでいると、胸が詰まる。最後の最後には救いがある。作品としては救いのあるエンディングで幕を閉じる。しかし、彼女の人生の本当の結末を知っていると、そこに本当に救いはあったのだろうか。と考えてしまったが、彼女の生きた証とも言える彼女のブログのことに思いを馳せてみると自ずと答えは出てくる。彼女の死後、誰が管理し、どういう終わりを迎えたかーそれを考えると、彼女の人生には本当に救いがあったと言えるだろう。作中、最後の最後、もがくように望んでいた救いがあったと、私はそう信じたい。

ページを一枚ずつ捲るたびに、すなわち彼女が一歩ずつその足をすすめるときに印象的であったのは、作中でも繰り返し登場する、自分の旅路に関して「開き直る」という言葉。あまりに刹那的で、だからこそ考えなしに人生を棒に振ったとか、目先の楽しみやお金のために選ぶべきではない道を選んだとか言われてしまうのだろうが、きっとそうではなかったのだと思う。きっと彼女にしかわからない、他の人にわかってもらいたくもない、一瞬一瞬、弾けて消えてしまうような生き方があったのだと、思う。

一方で、彼女が愛している人に対して向ける言葉は、むず痒くなるほどに情熱的で、それでいて幼い。自分は母親に愛されていると疑いもしない子供の瞳にじっと見透かされているような気持ちになる。自身については「開き直り」続けていた彼女であったが、愛に対しては一度も開き直ったことなどないようだ。ずっと、彼女は自分の愛の終着点を探していたし、誰かの愛の終着点になりたがっていた。愛してほしい、と言えなくなってしまうのを成長と呼ぶのならば、彼女はきっと、ずっと永遠の赤子であっただろう。

彼女はきっと、あまりに純粋すぎた。愛というものに対して、この世界というものに対して。プラトニックなセックスーそれは、この世には存在し得ないけれども、彼女が心の底から欲しかったものなのかもしれない。