砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

ジェーン・ドゥの解剖ー恐怖は陽だまりの中に

死体は動かない。

動かないのは当たり前で、動けばそれはゾンビと呼ばれる。ゾンビものは好きであるが、今日はあまりにホラー愛好家のレビューが高かった『ジェーン・ドウの解剖』を見て、こういうパターンもあるのかと膝を打ったので、ちょっと講釈を垂れてみたいと思う。ちなみにこちらはいわゆるゾンビものではない。変な導入にしてしまったが、「死体は動かない」という当たり前の概念がキーポイントになることは間違いない。

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ジェーン・ドウはいわゆる「名無しの権兵衛」的な意味合いがあり、要するに名前のわからない女性のことを指す。舞台は、アメリカの田舎町。検死と火葬を担う父子の元に身元のわからない女性の全裸遺体が運ばれてきたところから、物語の歯車が動き出す。父子は粛々と職務を全うしていくのだが、徐々におかしなことが起こり始める。

本当にたまたまなのだが、前回見た『LAMB』同様にキリスト教観の強い作品であった。しかしながらこちらは、レビ記が出てきたり、解剖を通して色々説明してくれるような作りであったため、置いていかれたような感じはなく、「腑に落ちる」結末であった。ジェーン・ドウが何者なのか、そしてラストシーンが意味するものについては考察も分かれているようなので、一から十まで説明してくれるわけではないのだが(そしてホラー映画はそういうものなのだが)、非常にまとまりのある作品であった。

ネタバレはしたくないので詳しくは割愛するが、ホラー映画の根底にある、というよりむしろあってほしい「理不尽さ」はものすごい。その「頭を使う恐怖」と、「直感的な恐怖」がとても良いバランスでこちらに語りかけてくる。だから、本能的な怖さと、じわじわくる怖さが両立していて、嫌な消化不良を起こさなくて済む、本当に解像度の高いホラー映画であった。震え上がって眠れなくなるほど怖いわけではないし、視覚的に「恐ろしいもの」が登場するのはさして多くはない。解剖シーンはかなりリアルなので、血や内臓がダメな方は見ないほうが良いと思うが、いわゆるスプラッターではない。「頭を使う恐怖」だけでは頭でっかちなねっとりホラーになってしまうし、「直感的な恐怖」だけではチープなものになってしまう。そのバランスがホラー映画のカギを握っているのならば、本作はそこをかなり上手くついてきている。

舞台は主人公父子の家で完結しているので、ドタバタすることもなく、非常に静かな映画である。だからこそ際立つのが音の不気味さである。それだけ聞けば、別に怖い音でもないのかもしれない「音」がこちらの心臓の健康を握っているのは間違いない。お恥ずかしい話だが、途中で怖くなって音量を下げてしまった。お化けがドーン!とか、殺人鬼がギャー!のような音の怖さではなく、「この音楽って……もしかして…」と思わせる、不穏で不快な音の使い方が非常に上手であった。ラストシーンの背景で流れている音楽なんて、もうチビるかと思った。最後の一音は少しだけ余計であった気がしたのだが、それが意図的であるのか、ただの物理的なものなのかも含めて、こちらに含みを持たせた終わり方だと思うと、それも上手だと思わざるを得ない。

私はホラーが好きだ。ホラー映画も好きだし、ホラー小説もよく読む。一方で非常に怖がりだ。なので、ホラー映画を一人で見た後は、絶対に何かくだらないコメディやおもしろい動画、癒される動画を見てから寝る。さもないと寝付けないし変な夢を見るしでえらいことになるのは確実だからだ。今こうしてブログを書いている隣では、延々と『ぐでたま』を垂れ流している。軽快なテーマソングに、恐怖の記憶が上書きされて安心しているのだが、いつかこれが前述の音楽に変わったらどうしようと思い始めてしまった。恐怖心のタネのようなものをしっかりと植え付けられてしまったのだろう。電気が消えたり、天気が悪くなったらどうしようと思い始める前に、彼女の美しいグレーの瞳を思い出してしまう前に、さっさと床につくのが賢明なのかもしれない。

 

 

子供:死なない

動物:死ぬ

セックスシーン:なし。ヌードはあり。

グロテスク描写:あり。ただしスプラッターではない。

心臓に悪いシーン:ややあり