砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

はじまりの書

人もすなるブログといふものを、私もしてみむとてするなり。
とはいえ、一体全体何を書いたらいいものかと頭を捻って早数週間。勢いで開設してみたはいいものの、早くも放置してしまっていた。三日坊主も呆れてものが言えないレベルである。
そもそも、自分のことをあれこれとここに書いたところで、誰が読んで面白いのだろうか。縁あってハワイに住み、なんだかんだでハワイに根っこを生やしてしまったものの、世の中の人が想像するようなキラッキラでハッピーな毎日とは程遠い日々の繰り返しである。キラキラできるもんならしたいのはやまやまだが、できないのだから仕方ない。私の性格がとんでもなくひねくれているクイーン・オブ・根暗だからか、はたまたこの空前絶後の物価高のせいか、南国には必ずいるあの黒光りする虫のせいか、理由は定かではないが、とにかく私は日々を生きるのでいっぱいいっぱいで、キラキラしている余裕はないのである。だから別にこれといってブログに書くこともない、といえばそれまでだが、なんだかんだ色々と書いてみたいと思うのは、10年にわたってコラムニストを続けてきたサガであろう。

ありがたいことに、紙面とデジタル版で10年も拙いコラム連載させていただき、そしてその間、多くの温かいコメントやご意見をいただいた。日本のことや、ハワイのことや、たくさんのことを書いてきたように思う。編集をしてくださっていた方は、私のしょうもないタイプミスを直す以外はそのまま掲載してくださり、私の言葉がそのまま日の目を見ていたのだ。自分の言葉が人の目に触れるということは、今思い返すと、非常に貴重な経験であった。自分の言葉に責任を持つ、というのはありきたりな言い方であるが、まさにその通り。傲慢な表現や、誰かを傷つけるような言葉遣いをしていないか、これでも一応何度か推敲してからゴーを出していたのである。不特定多数の人に見られる、というピリッとした緊張感。これがエクスタシーに変わった日には、露出狂への第一歩を踏み出したことにもなろうが、幸いにもそこまでには至らなかったことに正直安堵している。

局部を露出する露出狂は、明らかに犯罪であるが、承認欲求を露出しまくるタイプの露出狂はどうだろうか。実は、私は日々自分がそうなってはいないかと怯えているのである。局部は出せば自分でもわかる。しかし承認欲求はそうではないからタチが悪い。イイネが欲しい、コメントが欲しい、もっと見てほしい、褒めてほしい。その感情自体は人間としていわば当然のものであろうが、それがとんでもなく肥大してしまうと色々なバランスが崩れてしまうような気がする。というわけで、私が自分で気づかないうちにいろんなものを露出していたら、こっそり教えていただけると、大変ありがたい。そうしたらこっそりとコートの前を閉めさせていただこうと思う。

初っ端からエクスタシーだの露出狂だの、どこに出しても恥ずかしくない立派な変態によるブログになってしまっている。コラムニスト時代には、何があっても書けなかったようなことである。しかし、きっと、私が書きたかったのはこういうものなのかもしれない。書きたいことを、書いたいときに、書きたいだけ書く。それなら多少は続きそうな気がする。三日坊主も「それならまあ」と言ってくれそうな気がする。キッチリしていて、新聞に載るにふさわしい(と少なくとも私は思っている)文章を書いていたアノ人が、と驚かせてしまったら本当に申し訳なく思う。物価高のせいでダークサイドにでも堕ちたことにしておいて、これはこれで読んでいただけたなら、それ以上の喜びはない。