砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

トンチキ論

4度目のCOVIDのワクチンと、インフルエンザワクチンを同時に接種して6時間が経った。

どっちの副反応が強く出るのかを見てみたくて、左腕にCOVID、右腕にインフルエンザを打ってもらったが、今のところ大差はない。先日、一足先に人身御供になった知人は、ちょうど6時間経った頃から熱が出始め、あれよあれよという間に頭が痛くなり、体がだるくなり、腕がとても痛くなり、そのまま丸一日寝て過ごしたという。私が両腕に打ったと聞いて、彼女は心底呆れた顔をしてくれた。今のところ私はどちらの腕も痛いような重たいような気がする程度で済んでいるので、このまま逃げ切りたいと切に願っている。

ワクチンのなんとやらについてここで論じるつもりはない。打ちたければ打てばいいし、打ちたくなければ打たなければいい。自分の体のことは他でもない自分だけが決めれば良いと思っている。私はとにかく怖がりなので、病気になりたくないから打つ。そして、「打ったのに感染したじゃんこんちくしょう」と思う方が、「あの時打っておけばよかった」よりマシだと思うから打つ。ただそれだけである。実際、コロナにせよインフルエンザにせよ何にせよ、予防接種を打ったってなるときはなるのだから、もうどうしようもないといえばどうしようもないのである。

病気になりたい、と思うのは、大変奇特な人かあるいは学校を正当な理由をつけてサボりたいと思っている学生くらいだろう。大抵の人は病気になんかなりたくないし、できれば健康でいたいと思っているはずだ。しかしながら病気になるときはなるのである。もう致し方ないのである。大切なことなので2度言わせていただいた。だから、誰かが病気になったことを咎めたり責めたりするのはトンチキのやることなのである。トンチキとは、マヌケとはトンマとかそういう意味だと解釈していただきたい。そして、それがどれくらいトンチキかというと、郵便ポストが赤いから郵便ポストは酔っ払っているんだと主張するくらいトンチキである。ちなみにアメリカのポストは青い。さながら飲みすぎて赤くなった後に青くなっている私の顔くらい青い。もし私がそうなっていたら速やかにお手洗いに連れて行ってほしい。

そこで私がトイレとお友達になっているのは、完全に自業自得である。と殊勝なことを言ってみたくもなるが、実はそれですら完全に自業自得とは言えないのである。普段は平気な量でも、自分で気付かない体調不良のせいで、いつもより酔ってしまったのかもしれない。お店の空調が暑すぎるのかもしれない。だから、一概にただ自分の許容量をわかっていない愚か者の自業自得と断罪するのは、「ややトンチキ」な行為なのである。

私はビール1杯が限界であるが、一晩中飲みつづけてもケロッとしている人はたくさんいる。羨ましいものである。一度でいいから、紹興酒をチェイサーにしてビールを飲みつづけてみたい。そう考えると、人間は実は個体差が激しい生き物なのだ。毎日ジャンクフードでも血液検査満点の人もいれば、毎日栄養学の教科書のような食事を摂っていても脂質異常症に悩む人はいるらしい。私は医学の専門家ではないが、どこかでそういった話を聞いたことがある。

すでに鬼籍に入った親戚の爺は、中学に上がる前からのヘビースモーカーだったらしい。昭和一桁台生まれの話である。記憶にあるその爺は常にタバコを吸っていた、というかむしろそうでない姿を見たことがない。その爺、「100歳になったら健康のために禁煙する」とのたまい続け、結局90そこそこで大往生でこの世を去った。そういう人間、というかそういう個体もいるのである。自分がどんな個体かすらわからないのに、他人の個体性などわかるはずもない。他の人の体のことをあれこれ詮索したり推測したり、そういう「とてもトンチキ」なことをする暇があったら、ゴミの一つでも拾っていただきたいものである。

一つだけ言っておきたいのは、今の医学はそういった膨大なデータを、頭のいい人たちが分析してなんやかんやして出来上がっているので、まともな医者の言うことは大抵正しい。ジャンクフードと栄養学の教科書定食ならば、大抵の人間は後者を食べた方がいいのである。ただ時々、そうではない人間がいる可能性があるという事実は、これまでそういった研究をしてきた人々による血と涙の結晶を上書きすることはできない。ここでn=1を盲信してジャンクフードを選ぶのもまた、トンチキと言わざるを得ないであろう。

その「トンチキ」は時に自分にも牙を剥くことがある。あのときアレをしたから病気になったとか、あのときああしなければとか、そんなことで頭がいっぱいになってしまうのである。気持ちはとてもよくわかる。どこかに理由を探したいし、何かを根拠にしておきたい。しかし過去は絶対に変わらないのである。そもそも、「あのとき」した「アレ」はそもそも関係ないかもしれない。考えたって仕方ないのである。そんなトンチキしているのは時間の無駄である。それよりも治療と療養に専念するべきときなのである。

ついついトンチキについて論じてしまった。いや、論じるなどと言ったら、真剣に論文を書いている人たちに引っ叩かれても文句は言えない。どうせトンチキについて論じると大口を叩くのなら、アブストラクトから書くべきだし、参考文献まで形式に則ってキチンと書くべきだ、と愛のこもった指導をされかねない。古今東西の優秀な医学者たちも、先輩研究者からそんな指導を受けてきたのだろうか。なんて考えているうちに、熱が上がってきたような気がする。これは副反応なのか、それとも、トンチキなことを考え続ける脳が拒否反応を起こしているのか。

わからないけれど、寝たら治るような気がする。きっと、夢にはヒポクラテスが出てくるような気もしている。