砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

あなたが欲しいと思うとき

人は実に欲深い生き物である。

隣の芝は常に青く見えるし、同じ職場の人間を心底羨むことだってある。その度に何か自分に言い訳をしたり、しょうもない理由を見つけたりして、なんとか「みんな違ってみんないい」のような詭弁に自己を洗脳してゆくほかないのである。自分の足るを知ることは非常に難しく、常に三大欲求を超えた欲求を人は抱えている。と信じたい。もしこんなに欲深いのが自分だけだとしたら、もう地面に穴を掘って埋まるしかない。

最近の私の頭の中を占めている一番大きな欲求は、「マックシェイク欲」である。とにかく、マックシェイクが飲みたい。タピオカでも、スタバのフラペチーノでも、スムージーでも、アイスクリームでも満たされない、あのマクドナルドのシェイクでなければ到底満たすことのできない欲求なのである。人の、と括ると主語が大きすぎるが、私は欲求というものは非常に細分化されていると信じている。例えば、「肉を食べたい」の中には「ステーキを食べたい」と「焼肉を食べたい」と「ハンバーグを食べたい」が存在するし、それははっきりと別物なのである。ステーキ欲の時に焼肉屋に行ったところでそれは満たされない。ステーキ欲はステーキでしか満たされないのである。

話を戻すと、今私が手を焼いているマックシェイク欲は厳密にいうと「バニラのマックシェイク欲」である。ねっとりとした、喉に絡みつくような、それでいて微細に砕かれた氷がそのエロティックな甘さを洗い流してくれるような、濃厚かつ爽快なバニラのマックシェイクが飲みたいのである。ストロベリーやチョコレートなどのお子ちゃまフレーバーに用はない。私は大人の女として、バニラと官能的な夜を過ごしたいのである。

「冷たくて甘いもの」欲を持ちがちな常夏の島で暮らしていく中でも、こんなにもマックシェイクを欲したことがあっただろうか。いや買いに行けよとツッコミそうになったあなたは正しい。さっさと行って、気だるそうにレジに立っているスタッフに「ワン バニラ シェイク プリーズ」でスマホをかざせば手に入る。と思うのは間違っていない。もしもそこが日本であるならば。

アメリカだからなのか、ハワイだからなのか、マックシェイクの機械は常に壊れている。アイスクリームの機械もよく壊れている。家から徒歩数分のところにあるマクドナルドに至っては、ここ数ヶ月ずっと壊れている。だからこそ、マックシェイク欲が収まらない。他の店舗に行けばいいのかもしれないけれど、故障中の張り紙を見るたびに、私の「バニラのマックシェイク欲」は「最寄りのマックでのバニラのマックシェイク欲」へとさらに細かくなってしまった。こうなるともう我慢比べである。機械が直るのが早いか、私が己の欲を捻じ曲げるのが早いか、乞うご期待である。

私は、人は手に入らないものを欲するとき、自分でも信じられないほどの執着を感じるのだとマクドナルドで学んだ。それは、できれば愛する人の背中でも見つめながら学びたかった、尊い感情であった。