人の営みに、心を動かされる。
そう気づいたのは、本当に最近のことである。当たり前といえば当たり前である。ここでは、人が生きていた、生きている、あるいは生きようとしていることを「営み」と定義したいのだが、そういう息遣いを感じられるモノに、空気に、出来事に、言葉に触れたとき、心が動く。自分の「営み」は生きている限り、365日24時間続く。しかし人は自分の人生しか持てないので、他人の営みが自分の中深くに入ってくるには、限られたスペースしか残されていない。
それでも、そのわずかな隙間を縫って、人の営みに触れたとき、さまざまな感情を抱く。自分ごとのように喜べることであったり、共に悲しみを分かち合うことであったり、一人で勝手に怒り狂うことであったり、喜怒哀楽何でもござれである。心の動きようはその時どきによって違うが、確かにその感情は渦となって、思考をかき混ぜていく。だから「心が動かされた」としか言いようがないのである。さらに、何が自分のトリガーとなる、つまり誰の何の「営み」が私の心を動かすきっかけとなるのか、はわからないから、これまたもどかしい。
とはいえ、結局は自分のことで精一杯で、そしてそれを置いておけるだけの心のキャパシティも心許無く、その渦さえもいつかはさざなみとなるのだが、自分の中の感情と思考の海に不純物となって残り続ける。
先日、いろいろあって旅に出ていた。
いつかまた全く参考にならない旅行記を書きたいと思ってはいるのだが、大いなる大地テキサスに初めて足を運んだ。朝も夜も新しいことだらけの一週間で、楽しかったです。たくさんの学びがありました、と優等生風に、あるいは旅ブロガー気取りで落ち着きたいところであるが、滞在中かなりの時間、自分の頭の中と対話していたような気がする。自分は人の営みに心を動かされるのである、という気づきもその中で得たものである。
時の大統領、J.F.ケネディは、3発の銃弾によって命を落とした。
彼が狙撃されたのは、今から61年前の11月22日。実行犯とされるオズワルドは、ビルの6階の一室から、オープンカーに乗る彼の喉と頭を撃ち抜いた。テキサス州ダラスはあまりにも有名なその話の舞台となった場所である。そのオズワルドは一度は逮捕されたものの、別の男にあっけなく射殺されてしまう。そのせいか、オズワルドが真犯人だったのかどうか、またその動機は今もなお、明らかにはなっていない。故に実は複数人の狙撃手がいた、CIAがその黒幕である、実はキューバの手引きがあった、はたまた彼は宇宙人の秘密を知ってしまったから消されたのだーなど、未だに多種多様な説がケネディの棺の周りを囲んでいる。
当時のビルは、現在もそのままに博物館に姿を変えている。そして、6階はケネディの生涯とアメリカの歴史を辿る展示がされている。ケネディを手放しで礼賛する訳ではないものの、彼の偉大さを讃える展示物である。足を進めていくと、フロアの片隅がガラスで直角に区切られている。当時、出版社の倉庫であった場所が、書籍の段ボールに囲まれた場所が、オズワルドが静かにその時を待っていたとされる場所が、再現されている。そのガラスのすぐ隣に立つと、ケネディが撃たれた道路が見える。向かって左から、なだらかに続いてくる、緩やかに高速道路へとつながる下り坂。まさしく「その」場所には、コンクリートの上から大きく白いXが書かれていて、6階からでも視認することができる。
ここから、そこに向かって、凶器の銃弾は放たれていった。
一瞬、周りの喧騒がなくなったように感じた。耳鳴りも似た静けさの中で、遠くから走ってくるKIAのセダンが、在りし日の黒いリンカーン・コンチネンタルに重なる。一人の男がここにいて、もう一人の男が殺されたのはそこだった。歴史の一頁に自分が足を重ねていることに恐怖にも似た感情を覚えたし、胸に詰まるものを感じた。彼がもし殺されなければ、世界は、歴史は変わっていたはずだ。良い方にか、悪い方にか、わからないけれど。
その窓ガラスに背中を向けると、食器一式がガラスケースに入れられて佇んでいる。それは、ケネディがあの日の夜、使うはずだったものだ。銀のカトラリーは今なお鈍く光り、純潔の皿たちは白く輝く。まるで時が止まっているように。使命を全うすることができなかった悲しみのせいだろうか。きっと、誰しもが彼がそれらを使って食事を楽しむのを待っていたはずなのに、それは今、衆人の目に晒されている。間違いなく、ケネディの命の営みは、あの日途絶えてしまったのだ。それは、あまりにも有名な、彼が暗殺される瞬間の動画や、国葬のあの場所で父の棺に敬礼した彼の幼い息子の姿と同じくらい、いやそれ以上に、彼の死をくっきりと捉えたものとして私に迫ってきた。
その斜向かいには、別のガラスケースの中に飾られた、金の指輪がある。アクリルの円柱の台座の上に置かれたそれは、錆色にも見える。持ち主は、オズワルドであり、それは永遠の愛を誓うためのものであった。あの日、彼は寝室にそれを置いて家を出て、そして世界中が知る男となって、戻ってこなかった。当時、彼と妻との関係は破綻していたともいわれているが、愛を誓った指輪を嵌めた指で引き金を引きたくなかったのか、と想像してしまう。彼の死後、その妻はそれを大切に保管していたであろうが、あるときオークションで売却した。そして、その指輪は大切なたった一人の手を離れ、数多の人間の囲まれ、そこに鎮座しているのである。
ケネディも、オズワルドも。そこに確かに生きていた。
そこには命があり、生活があり、愛があった。それは揺るぎない真実だ。誰がどう、なぜ、ケネディを撃ったのかが謎に包まれた今も、そしてこれからも、たった一つ変わることのない真実なのである。奇しくも同じ物質でできたケースに抱かれて、同じ場所で眠る皿と指輪。あの日、彼が引き金を引いたその瞬間、ばらばらであるはずだったその二つのモノたちの運命は束ねられ、同じ展示物の名札をつけられてしまったのである。それは、ケネディとオズワルドが、それぞれの身に銃弾を受けたのちに同じ病院に運ばれて、同じ場所で最期を迎えた、数奇なストーリーにも重なるように見えた。
そんなことを考えていると、その博物館に来ている人々もそれぞれの人生を歩んで、日々を営んでいるのだなあと壮大なことを考える。私ははるばるハワイから来ているけれど、この人たちはどこから来たのだろうか。おそらく観光客であろうから、私のようにアメリカの他の州からかもしれないし、海外から来ているかもしれない。テキサスは広いので、テキサス内の他の都市からかもしれない。カチカチとカウンターを鳴らしながら入場者数を数えている女性はきっと、この近くに住んでいるのだろう。まるで、その瞬間だけ、その場にいる人たちが、物理的な空間を共にしているだけなのに、運命を共有しているような錯覚に陥ってしまう。
その日、ホテルに帰ってからもずっと、私はその皿と指輪のことを考えていた。テキサスの薄いビールを飲みながら、ずっと考えていた。それを「心が動かされた」と表現する他ないと思いながらも、何とかこの気持ちに名前をつけられないものだろうかと考えていた。それの答えがまだ見つからないから、冒頭でそうとしか言えなかったのだが、私はずっとそれを考えている。
ホテルのガラス張りになったシャワーブースでぬるいシャワーを浴びながら、自分があの皿や指輪になって、ぬるりと排水溝に流れていくのを見ていた。俯いた髪の毛の先から、水が滴る。祈りにも、懺悔にも似たその姿。裸の私が抱いていたのは、言語化できぬ自分の感情への赦しだったようにも、ある二人の男への弔いだったようにも、思う。