砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、わたしだけの小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

忘れ草

煙草を吸ってみたい、と思った。

左手の人差し指と中指に煙草を挟んでみたい。そのとき、爪は長く深い赤で塗られている。そしてぴったりとした黒いレザーのワンピースに漆黒のピンヒール。情事の後を思わせる乱れた髪の間から見える伏し目がちの目は白い肌に長いまつ毛の翳りを落とし、爪よりも深い赤のルージュが光る唇からは、紫煙が空へと放たれている。そして再び、煙草は口元へと運ばれる。しなやかな動きに同期して、ゴールドのブレスレットに酸素に燻された煙が反射する。

そこまで想像したところで、私の脳が作り上げたそれは、絶対に自分ではないことに気付く。自分と峰不二子を混同するほどの自信家ではない。煙草を吸ってみたいのではなく、どこかで目にした物憂いた喫煙者の女性が何となくカッコよく思えただけだろう。あるいは、素敵なおねえさんを妄想していただけだ。中学二年生と同じメンタリティである。もしくは何かに疲れ果てていて、ただ深呼吸をしたいだけだったのかもしれない。

そもそも煙草は非常に高額なので買おうという気にはなれない。そんなお金があるのならラーメンの一杯でも食べたい。心配性なので、火を消したかどうかが不安になって夜も眠れなくなるのが目に見えている。うっかり灰を落としてフローリングを焦がしてしまったら恐ろしい請求が来るだろう。そもそも喫煙できる場所を探すのも大変だし、髪や服に匂いがつくのも嫌だ。健康を気にするお年頃であるし、今後私が煙草を吸うことはほぼ間違いなくないと断言できる。ただ、人生の中で吸ったことがないかというと、嘘になる。

はるか昔付き合っていた人が、喫煙者だった。

彼は煙草ではなく、葉巻を吸う人であった。そのとき数回吸わせてもらったように記憶している。しかし、全く良さが分からなかった。ただ口の中に魚焼きグリルを濃縮したような、野焼きのような、何ともいえない湿った気体が広がっただけだった。年上の男と付き合って背伸びした気持ちでいたかった私は、それだけで大人になったような気がしたのだった。

そんな彼のことを思い出すのは、決まって病院の待合室である。「お酒は飲みますか はい・いいえ・ときどき」に続く質問、「たばこは吸いますか はい・いいえ」は胸の奥にしまいこんだ記憶を甦らせる。お酒のように「ときどき」の選択肢がないのは、煙草を吸う人はたいてい絶え間なく吸うからだろうが、人生の中でほんの数回吸ったことがあるのは「いいえ」にカウントしていいのだろうか。いつもカンマ数秒だけ逡巡して、いいえに丸をつける。次の質問に視線を移す頃にはもう、彼のことも、あの日々のことも、また胸の奥に消えていく。

医者がそういうことを聞いてくるのは、喫煙は大きなリスクとなるからだ。呼吸器系は言うに及ばず、脳や心臓にもダメージを与える。ありとあらゆる臓器にも影響があるし、歯や肌、髪も蝕んでいく。メンタルヘルスにもよくないらしいし、百害あって一利なしと言っても過言ではないだろう。

彼の健康を気遣っているふりをして禁煙を勧めたとき、彼は葉巻は口の中で煙を燻らせるだけで肺まで煙が到達しないので、煙草に比べて体にいいのだと言った。本当かどうかは知らないが、問診票を埋めているとき、彼の顔はいつも乾いた咳と一緒に脳裏をよぎることを思うと、きっと嘘だったのだろう。私も、葉巻って美味しいね、と嘘をついていたのだからお互い様だ。

そんな嘘を重ねていたせいか、あるときから、喫煙所の外で待っているのが急に馬鹿らしくなった。繋いだ手が煙臭くなる気がして、しょっちゅう手を洗うようになった。彼が葉巻を止めることは絶対にないと知っていたのに、「禁煙しなよ、体に悪いよ」なんて言いながら、そんな私の優しさをわかってくれないなんてひどい、と傷付いているふりをしながら、本当は全部分かっていた。本当は少しだけ、ほんの少しだけ、期待していたのかもしれないけれど、どんな結末を欲しているのか全部分かっていた。自分の気持ちが彼からゆっくりと剥がれていくのを、葉巻の先から落ちていく灰のせいにしただけだ。

別れは夏の暑い日だった。何の罪もない葉巻が、私たちの間に所在なげに佇む小さな灰皿の上に橋渡しにされたまま、重い時間が過ぎていった。そこで何を話したのか、どんな会話の果てに私たちが別れを選んだのかは覚えていないが、葉巻だけがその理由ではなかったはずだ。そのとき私は、主に息を吹き込んでもらえない小さな炎が力尽きていくのを、涙の向こう側に見ていた。それはまるで十字架のようだと、私は思った。