砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、わたしだけの小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

明日さえも惜しい年頃で

常に刹那的に生きている。

自分でも本当にどうしたもんかと思うほどに、今のことしか考えられない。先のことを考えたところで、自分ではどうにもならないことが起こるのが人生である、と思っているからだろうか。期待するのも、準備するのも、予想するも限界がある。年末大掃除をしていたら3年前に立てていた未来予想図のメモが出てきた。それによると、2024年には結婚式を挙げていて、子供が一人いて、某資格を取っていて、15キロ痩せているらしい。何一つ叶えられていない。前二つについては自分だけではどうしようもないことで、後ろ二つについては完全に自分の責任である。五分五分であるが、そういうことなのである。

酸いも甘いも色々ある毎日を過ごしていく中で、いい意味で刹那的に生きていくしかないと、どこかで腹を括ったのだ。できない自分を責めても何も変わらない。流石に、宵越しの金は持たねえとは言えないのだが、貯蓄と浪費のバランスを上手く取っていかねばならない。これからの人生の中で、今日が一番若いのだ。明日の朝、目が覚める保証はない。10分後にこの心臓が動いていない確率もゼロではない。ならば、やりたいことはやれるだけやっておきたいし、やっておかねば地縛霊コース一直線である。

実は今、金髪にしたくて仕方がない。

尊敬する友人のハンサムなハイトーンヘアの写真を見た日から、ずっと心の中に金髪欲求が燻っている。見てくれが彼女の正反対にいる自分が、彼女のようなハイトーンにしてしまうと神取忍になってしまいそうでなかなか踏ん切りがついていない。刹那的に生きる、などと啖呵を切るのならばさっさとすればいいのに、髪の毛が傷むのも気になるし、メンテナンスも大変そうだし、もっと痩せてからの方が、そもそも似合う気がしないんだよな、とブツブツ文句を言っては終わる一日を繰り返している。

その友人の他に、私の金髪欲求を煽ってくるのが、「ちゃんみな」である。

かつては練馬のビヨンセと呼ばれていたラッパー/シンガーのちゃんみな。実は彼女がメジャーデビューした頃にほんの少し聞いていた時期もあったのだが、最近になってかなり久々に聞いてみるとまんまとハマってしまった。彼女がプロデューサーであるオーディション番組「No No Girls」まで見てしまって、泣いたり笑ったり忙しい。彼女の方が年下なのに、励まされることも多い。最新曲の『NG』はなかなかに強い歌詞とエクスプリシットなMVであったが、それくらいの強さが今の私には必要だ。

彼女もいろんな髪色も髪型もしているが、中でもプラチナブロンドのロングヘアがとても素敵で、十中八九ウィッグかエクステではないだろうかと思いつつも、憧れてしまう。影響されやすいので、いつか彼女のように眉毛を全部ブリーチしたり真っ赤なリップを塗ったりし始めるかもしれない。時間がかかりすぎるのでごくごく稀にしかやらないが(そして人様にお見せもしないのだが)ドラアグメイクも好きなので、それを標準装備にするかもしれない。そうやってトチ狂った果てにちゃんかおはラップで食っていくと言い始めたら流石に誰か止めてくれるとありがたい。

幸か不幸か、社内規定には髪色はなかったはずだ。ハワイだからなのか、現在所属している会社が緩いからなのかはわからないが、多分金髪にしても首が飛ぶということはなさそうである。今でもかなり明るい茶髪だが何も言われたことはない。ピンクとか青になるとちょっと怪しいラインであるが、金髪はセーフだと信じたい。小言の一つや二つはあるかもしれないが、心の中のちゃんみなに戦ってもらえば何とかなるはずだ。やたらと分厚い社内規定を隅から隅まで読んだわけではないので定かではないのだが、多分大丈夫だろう。

万が一金髪にして解雇になってしまったら、それこそ本当にラップで食っていくことを真剣に考えなくてはならないが、音楽センスがゼロなのでそもそも無理な話である。自分の手で食っていく可能性がほんの少しあるとすると、こうしてタラタラ文章を書くことかもしれない。練馬のビヨンセならぬワイキキのxxxと呼ばれる日まで書き続けていくしかなさそうである。とはいえ、これもまた才能があるわけではなさそうなのが凡人の哀しさである。

リアルな私の周りには、文章で生計を立てている人も、有名なブロガーもいる。彼ら彼女らと比べると、自分は本当に未熟だしセンスもない。語彙も少ないし、構成も甘い。なので、まさか著述で飯が食えるとも思っていない。しかし最近こうしてブログを更新していく中で、自分が文章を書くことがとっても、とっても好きだったことを少しずつ思い出してきた。小さいときから小説や詩やなんやかんやたくさん書いてきた。結局それらは誰かに見せるのが怖くて恥ずかしくて、全部処分してしまった。コラムを連載していたときは、自分の本心をうまく隠して、耳障りのいい文章を書くことに必死だった。今になって、私は本当に文章を書くことが好きだったんだなあ、とぼんやり再確認している。そして何より、それを思い出すきっかけをくれた方々に心から感謝している。

ちゃんみなの座右の銘は「選ばれるより選ぶ人生」であるそうだ。金髪になるもならぬも、物書きを目指すも目指さぬも、本業を頑張るも頑張らないも、日々を刹那的な選択で埋めていく中で、私がこの手で選び取っていく旅路でありたいものである。

 

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」