砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、わたしだけの小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

夢か現か

夢日記をつけると気が狂う。

まことしやかに囁かれているが、本当だろうか。都市伝説の域をでないようにも思えるが、なんでも毎日みた夢を日記にしたためていくうちに、夢と現実の区別がつかなくなって奇行に及んだり、心を病んでしまったりすることがあるらしい。逆に夢日記を続けていくうちに明晰夢をみられるようになって、夢の中で好き勝手に動けるようになって楽しいという人の話も聞いたことがある。どうにも両極端であるが、どちらが本当なのだろうか。

私は夢見が悪い。寝付きはいいのにも関わらず、寝ても寝ても眠いのはこのせいではないかと、アップルウォッチで睡眠を記録している。確かに眠りが浅かったり、自分では覚えていないこともあるけれど夜中に起きたりしているらしい。時間にすると十二分なほどに眠っているようだが、確かに健康には良くなさそうである。

びっくりして飛び起きるような夢ではなく、じんわりと嫌な汗をかくような、変な夢をみることが多い。自分がうなされている声や、寝言で目が覚めることもある。起きてからみた夢のことを覚えていないことも少なくはないが、そういうときは何とも形容しがたい気持ちだけが残っている。起きてから鮮明に覚えている時は戯れに夢占いをやってみる。自分に都合のいいことしか信じないし、基本的には占いなど遊びだと思っているがたった一度だけ、夢占いを的中させたことがある。

それはまだ日本にいた頃みた夢である。真っ白なシーツのうえに裸の男の赤ん坊が寝転んでいる。私はその子の隣に座っている。その子がおもむろに排泄を始める。私は慌てて、尻の下に手を入れて、その排泄物を素手で受け止めた。お世辞にも「いい夢」ではなさそうだが、インターネットで「夢占い 排泄物」と検索すると金運の上昇を示唆していると出てきた。ウンだからと言って適当なことを言っていると一笑に付したものの、なんとなく気になって300円のスクラッチを買ってみた。なんと結果は横一列に並ぶ三つの星。かくして私は5,000円を手に入れたのであった。その後も何とか似たような夢をみたいと思っているが、かれこれ数年経った今もそのチャンスには巡り会えていない。

今日みた夢は、いつも通りの変な夢であった。

ただっ広い公園のようなところに立っている。遠くには山々が見える。空の高さからして、おそらくハワイである。子供たちが走り回っている。ふと気づくと、そこは公園なのに、電波塔が連なっている。私はそれを不思議とは思わない。その刹那、空を二つに割るような稲妻が走る。電波塔をつなぐ電線がバチバチと音を立ててちぎれていく。遠くの山々のところどころが、山火事の火種だろうか、黄色く光っている。それに慌ても、驚きもしない私が、公園を後にする。

そこで場面が変わり、斜面に立つ家の前で呼び鈴を鳴らす自分に気が付く。隣には無二の親友が立っている。家の中から出てきたのは、中学時代の同級生である。どうも、その同級生の出産が近く、私たちは彼女を祝うためにここを訪れたらしい。大きなお腹を抱えて私たちを出迎えてくれた同級生と何か会話を交わす。

気が付くと、私は一人で先ほどの公園に戻っている。まるで地上に打ち上げられた魚のように、びちびちと跳ねる電線を、何とか踏まないように逃げようとしている。遠くの山の火種はいつしか大きなうねりとなっている。それでもまだ、私は不思議と焦りもしない。傍らで電線を踏んでしまった人が閃光の中に消えていった。これは触れると死んでしまうのかもしれないーと私はようやく気づく。足元の電線の先からは、電気であろうものが液体となって流れている。また雷が落ちる。電波塔が倒れてくる。スローモーションで、ゆっくりと、私の方に。

その世界から救い出してくれたのは、私のスマホが奏でる電子音だった。幸か不幸か、現実に戻ってきた。今日もまた、ここから変わり映えのしない一日が始まる。起きて、仕事に行って、帰ってきて。多少の喜怒哀楽のあれやこれはあれど、大抵毎日同じことの繰り返しだ。もしかしたら、夢日記とやらをつけてみたら何か面白いことでも起こりはしないかと、今こうしてキーボードを叩いている。

もし、万が一、私が狂ってゆくような素振りを見せたらなば教えていただけるとありがたい。今のところ大丈夫だと思うけれど、これが最期の言葉にならぬよう気をつける次第である。