砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

娘。

昔、モーニング娘。に入ることが夢だった。

遡ること20年以上前、というと眩暈がしそうなくらい昔の話のように聞こえてしまうが、まだ小学生で可愛かった(はずの)私は、モーニング娘。のことで頭がいっぱいだった。とにかく好きで好きで仕方がなかった。ザ・アイドルとして君臨し続けるその姿にが本当に大好きで、大好きで、心が張り裂けてしまいそうなほどであった。というとメンヘラ彼女のようで気がひけるが、「モーニング娘。」の七文字を探すためだけに新聞のテレビ欄を隅から隅まで見て、必ずその番組はチェックするようにしていた。生まれ育った故郷はドのつく田舎で、いわゆるキー局が見られないことも多く、何度も地団駄を踏んだものである。周りの女子も御多分に洩れずモーニング娘。にキャーキャー言っていたが、きっと私の歪んだ愛は常軌を逸していたのだと思う。

モーニング娘。を生で見たかったが、海(注・瀬戸内海)をこえてコンサートに来てくれることはなかった。いや、あったのかもしれないが、私にその機会は与えられなかったのだ。折りしも、モーニング娘。の第6期オーディションが開催されていた頃だ。本気で応募しようと思っていた。もう150センチを超えているから、ミニモニ。には入れないだろう。歌や踊りを習ったことは一度もないから、きっとレッスンはとても厳しいのだろう。そもそも、家族みんなで上京するのだろうか。でも、地方公務員の父は地元を離れられないだろう。そうなると、新垣里沙ちゃんみたいにおばあちゃんと一緒に上京するのがいいのだろうか。体の弱いおばあちゃんは、東京なんかに住んで大丈夫なのだろうか。本気でそこまで考えて、起こりもしない家族の別離に一人涙をこぼしたものである。まず自分が合格するかどうかを冷静に考えてから悩んで欲しいものだが、合格すると信じてやまなかったのだから、夢見る少女ほど手に負えないものはこの世の中にはないと、心からそう思う。

結局のところ、応募すらすることはなかった。心のどこかで無理だと悟ったのか、賢明な両親がそれとなく止めたのかは記憶にはないが、応募用紙を記入した記憶すらない。そしてその後、オーデイション合格者の道重さゆみちゃんがあまりにも美しいことにやっと目が覚めて、そこからは平凡な田舎少女への道を歩み始めた。モーニング娘。と同じくらい、隣のクラスのあの子が好きになり、現実で生きることの大切さと厳しさをも学んだ。あのまま夢の世界の住人であり続けていたら今頃どうなっていたかと思うと背筋が凍る。そう考えると、さゆみちゃんには感謝してもしきれないのである。

そんなさゆみちゃんは、伝説となり、モーニング娘。という世界からは去っていった。それでも、今に至るまで、この愛情はいまだに心の中に燻り続けている。時代はアイドル戦国時代、数えきれないほどのアイドルが存在する時代になった。それでも私はまだ、モーニング娘。を追いかけ続けている。もう干支が同じメンバーが存在する。年齢が半分のメンバーも存在する。もはや親戚の子供を見ている気持ちにもなるが、いまだにメンバーブログやインスタグラムをチェックし、新曲が出ればエンドレスで聴き続けている。最近は同じハロー!プロジェクトに所属するアイドルたちにも手を出しているから時間が足りなくて仕方ない。20年前の自分が見たら卒倒するほどに、毎日彼女たちを見て、応援して、そしてそれ以上のパワーを貰っている。ああ素晴らしきインターネット。ありがとうインターネット。

済ました顔で片手にスタバを持って、颯爽とカラカウア通りを歩いているときもまた、耳に流れてくるのは彼女たちのみずみずしく、そして凜とした歌声なのである。悲しいことがあって、部屋のベッドで毛布にくるまっているときに私を包んでくれるのは、彼女たちのあたたかく、それでいて不完全な儚い歌声なのである。気持ち悪いと言われても結構。私はモーニング娘。が大好きなのだ。狂おしいほどに。