砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

姉妹鍋

5歳年の離れた妹がいる。

顔や声はよく似ていると言われる。私の方が背が高くて面長。ド直毛の私とくるくる癖っ毛の妹、大きな違いはそれくらいかもしれない。二人とも数字を弄るような仕事をしているし、同じゲームで遊んでいるし、外も中もよく似ていると思う。第三者に「よく似ているね」と言われると、「かわいい方が私です」と答える十八番まで一緒だ。

ところが、食の好みは全く違う。同じ家庭で、同じ手料理を食べて育ったはずなのに、全く違う舌を持っているのである。だから外食する時は意見がまとまらなくて困る。どこに行くか決まらず結局家で何か適当なものを食べるということもよくある。近頃は、偏食王子の異名をとる彼女の息子、すなわち私の甥っ子が参戦してくるので、彼の「食べられるもの」があるかどうかも基準になってくる。そうすると、彼が確実に食べるであろう白米を家で炊いて食べるのが最適解となりがちだ。

ふと思い出したことがある。私の記憶する限り最後の妹との喧嘩は鍋にまつわるものであった。あれは私が高校生くらいの時であったか。田舎特有の大きなショッピングモールの中に鍋屋で家族で夕食を摂ろうとしていた。私は断固しゃぶしゃぶ、妹は絶対にすき焼きと両者一歩も譲らない状況であったのだ。私は味に変化のないすき焼きは嫌だと言い放ち、妹はただの湯で茹でた食べ物に何の価値があるのかと捲し立てた。今考えると最高にくだらない言い争いである。結局、テーブルを二つに分けていただいてそれぞれ食べたいものを食べたような気がするが、お互いがお互いを自分の食べたい鍋の良さをわからない愚か者だと見下しとしばらくの間口を利かなかったような気もする。心底くだらない。せめて、これが最後の姉妹喧嘩であってほしいと願うばかりだ。

そんな私たちが心から同意して食べに行くものの一つが火鍋である。二人とも辛いもの好きであることは少ない共通点の一つで、その中でも麻辣の虜なのである。ホノルル・ワード地区に位置する中国系の火鍋店は、羊肉や板春雨といった、普段あまり食べないものも食べられる。ここで食べる板春雨があまりにも美味しかったので、Amazonで似たような春雨を買ってみた。届いたので早速食べようと思ったのだが、裏面をよく見ると8時間以上水につけて戻さないといけないらしい。そんなわけで、バリバリの板春雨もまた、私のキッチンキャビネットにしまわれているのである。

話を元に戻そう。その火鍋屋では、舌がビリビリ痺れるような火鍋以外のスープも選べるが、ここでは一致団結して火鍋一択である。真っ赤なスープに浮かぶよくわからない薬膳のスパイスが、何ともいい味を出している。羊肉はそのスープにピッタリだし、エビや海鮮団子なども忘れてはいけない。ついついスープも飲みすぎてしまって、お腹の調子が非常によろしくないことになりがちであるが、それくらい美味しいのである。もちろん味も美味しいのだが、大人になると疎遠になってしまう兄弟姉妹が世の中には多くいる中で、たった一人の妹と鍋をつつき合うというノスタルジーを孕んだ幸福感は、何物にも代え難い。

しゃぶしゃぶすき焼き大戦争を経て、麻辣の味がわかる大人になった私たち。もう私はしゃぶしゃぶの刀で切り捨て御免ということはないし、彼女もすき焼きの錦の旗で私をぶん殴ってくることはない。もしもこれが紅白鍋合戦であるならば、紅組の大勝利、といえるだろう。

 

今週のお題「紅白鍋合戦2023」