砂浜の瓶詰め

砂浜を瓶に詰めて、小さな海を作りたい。ハワイの有益な情報はほとんどありません。

何と言っても麺が好きだ。

身の回りで麺類が苦手という人をあまり聞いたことがないのは、私が泣く子も黙るうどん王国で生まれ育ったからだろうか。そこではうどんは離乳食であり、主食であり、祝膳であり、病人食であり、おやつであり、そして老人食でもある。文字通り、生まれてから死ぬまで、うどん王国民はうどんを食べ続けている。年越し蕎麦など食べようものなら、秘密警察に密告されて監獄行きである。流石にそれは嘘である。しかし、うどん王国民の多くは年越しうどんを食べているであろうことは想像に難くない。県外屈指の商店街では、マクドナルドの向かいにうどん店ができたところ、なんとマクドナルドが駆逐されてしまった。空港にはうどんの出汁が出る蛇口があるし、県のゆるキャラは「うどん脳」である。これらは全き真実である。あまりにもうどんばかり食べるせいで、うどん王国民は糖尿病の罹患率が高いらしい。悲しいかな、これも真実である。私がホラを吹いていると思うなら、ぜひググっていただきたい。

18歳でうどん王国から脱出し、上京したとき、あまりのうどん屋の少なさに驚いた。そして、関東風うどんという全く未知の存在に慄いたものである。一方で、ラーメン屋の多さにも圧倒された。そしてそこからラーメンにハマり、大学でできた友人が無類の麺好きであったことから麺屋巡りにハマり、増え続ける体重に驚愕しつつ、一時はラーメンブログをやったりしていた。いまだにラーメンとつけ麺には目がなく、ハワイ内のラーメン屋を制覇することを目標に日々を生きているのである。

そういえば、ハワイにはそれなりに多くのラーメン屋がある。どのお店もそれなりに繁盛していうようにお見受けするし、RAMENといえばSUSHIについで人気の日本食だと思う。一方、残念ながらうどん屋はさして多くはない。社内では「全世界で」トップクラスの売り上げを誇る丸亀製麺ワイキキ店はいつも長蛇の列であるが、それ以外にうどんを大きく掲げている店はパッと思いつかない。ここでもまた余談であるが、丸亀製麺は香川県丸亀市にちなんだ名前と拝察するが、本社はうどん王国内にはない。そのせいか、王国民からの支持は高くはなく、現在は王国内にたった1店舗しかないらしい。

話を戻そう。まだまだハワイでのうどんの周知活動が足りないのであろうか。残念なことに、私は香川県出身でハワイに住まれている方をたった一人しか存じ上げない。もしこのブログを見ているあなたが、もしくはあなたのお知り合いが、香川県出身であるならば、ぜひ共にうどんの普及活動を行おうではないか。緑の県章の旗を掲げ、いざハワイ讃岐化計画である。気候は似たようなものだし、同じ島国同士、仲良くやっていけるはずである。

話があちこちに飛ぶのはどうも悪い癖である。私が本当に語りたかったのは、決して郷土愛ではなく、麺類愛だったはずだ。よくよく考えると、私はさほど地元への愛情は強くない。強ければ、遠く離れたここにいるはずがないのである。何が言いたかったかというと、私はとにかく麺類が好きだということである。そしてその麺類はなかなかに奥深く、たかがブログの一記事ではまとめられないので、追々ちまちまと語っていきたい。そういう熱意が私にはあるのだ。そうすることで、かつてインターネットの藻屑となった私の幻のラーメンブログも報われるのである。それが私の伝えたいことであった。

著者の伝えたいことを読み取り、20字以内でまとめられただろうか。もしできたなら、きっとあなたは現代文で満点を取れる。是非とも大学受験に挑戦してほしい。夜食には、鍋焼きうどんをお持ちしよう。脳みそがうどんになってしまう前に、無事合格することを心より祈っている。

 

 

ピザの思い出

三連休であった。

ベテランズデーと土日で、三連休であった。多少は生産性のあることをしようと思っていたものの、結局いつも通りの週末が、いつもよりはゆっくり流れていって終わってしまった。遊んでいるゲーム内でのイベントがあったので、そこに張り付いて目が霞むまでゲームしたが、到底30歳女性の休みの日の過ごし方として適切なものではない。とりあえず、このブログを見切り発車ではあるがスタートさせられたことは大きな収穫であったが、それ以上は特段変わりない三日間であった。

この車社会のハワイにおいて、何と私は車を持たない生活をしている。そのため、日々の生活は己の足頼みである。たまにバスに乗ることもあるが、時間通りに来ないーそう、遅れるだけならまだしも、発車予定時刻より先に発車することがあるのだ。バス停で何度発狂しかかったことだろうかーこともあり、基本的にどこまでも歩いていく。日本でJCBカードを作ってきていれば、観光用トロリーにも乗れたのだが、生憎持ち合わせていない。レンタサイクルBIKIに乗るという手もあるのだが、車道をフラフラ走ってクラクションを鳴らされる未来しか見えないので今のところ乗ったことはない。かつては原付を持っていたが、とても愉快なストーリーの末に手放した。いつかブログのネタにしようと思う。というわけで、どこかに遠出するということもなく、せいぜい車持ちの妹に頼み込んでコスコに買い出しに行くのが私にとってのお出かけなのである。

そういった交通事情から、一週間に一度、コスコで食料を大量購入してそれで一週間生き永らえるしかない。配分をミスってしまうと、木曜あたりからひもじい思いをすることになるか、そのまた次の火曜あたりまでギャンブル気分で柔らかくなった野菜を食べる羽目になる。意外に綿密に計算しないといけないので、常に冷蔵庫とは密に連絡を取り合って一週間を過ごしているのである。幸か不幸か、手の込んだ料理をするわけではないので、買うものは大抵いつも決まっている。そして大抵いつも同じようなものを食べている。

思い返せば、一人暮らしを始めて18の頃から似たようなものばかり食べている。簡単なのはスパゲッティや丼もの。最近は健康に気を使い始めたので、コメの代わりにオートミールを米化させてみたり、葉っぱをよく食べるようにしてはいるが、体重は減りはしない。増えないだけヨシとしよう。日本で社会人を演じて、目の下にクマを作っていた頃はよく、金曜の夜にLサイズのピザを頼み、日曜の夜までそれを食べ続けるという愚行も犯していた。金曜の夜から月曜の朝まで、家から一歩も出ず、ただただ趣味に没頭しながらピザを貪っていたのである。今は年齢のせいか胃腸が弱り、絶対にそんなことはできないと断言できる。しかも、ここアメリカでホールピザなど頼んでしまった日にはエラいことになるのは明らかである。

ピザというと思い出す話がある。私の生家は、とんでもない田舎にあった。今では県庁所在市に合併され、大きな顔をしているが、私が小さい頃は恐ろしいほどに田舎であった。周りの家は無駄に大きく、田んぼが広がり、カエルが大合唱し、田舎のお手本のような田舎であった。そして、遠く離れた隣の隣の町あたりにだけ、ぽつんとピザ屋があったのである。ピザーラだったか、ピザハットだったか忘れてしまったが、そこにしかなかったのである。そしてなんと、私の生家の住所は「配達エリア外」だったのだ。家から歩いて10分くらいのところにある町役場までしか、配達に来てくれなかったのだ。たまに、暴走族っぽい格好をした兄ちゃん姉ちゃんが町役場の駐車場にたむろしていたのは、もしかしたら彼らはピザを待っていたのかもしれない。

そんなわけで、私がピザを初めて食べたのは、市内の親戚の葬式だかお通夜だかであったと思う。葬式やらお通夜やらでは確か生臭ものは避けるのではなかったか。ピザなんてとんだ生臭ものだとも思うが、親戚のおばちゃんが子供用にとピザが頼んでくれた。それが人生初ピザであった。初めて生で見るピザに、集まった子供たちは死んだ爺のことなど忘れ、ピザを取り合った。みんな田舎に住み、ピザに憧れ続けてきた純真な子供たちである。目の色を変えて、ピザに群がり、この上に乗っている黒いものは食べられるのかどうかと議論した。子供たちよ、それが我らが故郷香川県がうどん以外にアピールできるものとして掲げるオリーブなのである。

その葬式は例のタバコの爺とはまた違う爺のものだったが、彼もまた大往生であったため、葬式もしめやかに、というよりむしろ、よくぞここまで生きたものだと和気藹々としていたように記憶している。どうも長生きの血筋なのか、やたら長生きする爺婆が多い私の親戚の中でも、彼はお手本のような大往生だった。私が小泉純一郎だったら、「感動した!」と言ってしまったかもしれない。それが、爺の生き様に対する賛辞なのか、ピザに対するほとばしる思いなのかは、知る由もない。

子供たちが食い散らかした後のピザの箱には、子供たちが残したオリーブだけが悲しげに佇んで、この世を去った爺のことを弔っているように見えた。

娘。

昔、モーニング娘。に入ることが夢だった。

遡ること20年以上前、というと眩暈がしそうなくらい昔の話のように聞こえてしまうが、まだ小学生で可愛かった(はずの)私は、モーニング娘。のことで頭がいっぱいだった。とにかく好きで好きで仕方がなかった。ザ・アイドルとして君臨し続けるその姿にが本当に大好きで、大好きで、心が張り裂けてしまいそうなほどであった。というとメンヘラ彼女のようで気がひけるが、「モーニング娘。」の七文字を探すためだけに新聞のテレビ欄を隅から隅まで見て、必ずその番組はチェックするようにしていた。生まれ育った故郷はドのつく田舎で、いわゆるキー局が見られないことも多く、何度も地団駄を踏んだものである。周りの女子も御多分に洩れずモーニング娘。にキャーキャー言っていたが、きっと私の歪んだ愛は常軌を逸していたのだと思う。

モーニング娘。を生で見たかったが、海(注・瀬戸内海)をこえてコンサートに来てくれることはなかった。いや、あったのかもしれないが、私にその機会は与えられなかったのだ。折りしも、モーニング娘。の第6期オーディションが開催されていた頃だ。本気で応募しようと思っていた。もう150センチを超えているから、ミニモニ。には入れないだろう。歌や踊りを習ったことは一度もないから、きっとレッスンはとても厳しいのだろう。そもそも、家族みんなで上京するのだろうか。でも、地方公務員の父は地元を離れられないだろう。そうなると、新垣里沙ちゃんみたいにおばあちゃんと一緒に上京するのがいいのだろうか。体の弱いおばあちゃんは、東京なんかに住んで大丈夫なのだろうか。本気でそこまで考えて、起こりもしない家族の別離に一人涙をこぼしたものである。まず自分が合格するかどうかを冷静に考えてから悩んで欲しいものだが、合格すると信じてやまなかったのだから、夢見る少女ほど手に負えないものはこの世の中にはないと、心からそう思う。

結局のところ、応募すらすることはなかった。心のどこかで無理だと悟ったのか、賢明な両親がそれとなく止めたのかは記憶にはないが、応募用紙を記入した記憶すらない。そしてその後、オーデイション合格者の道重さゆみちゃんがあまりにも美しいことにやっと目が覚めて、そこからは平凡な田舎少女への道を歩み始めた。モーニング娘。と同じくらい、隣のクラスのあの子が好きになり、現実で生きることの大切さと厳しさをも学んだ。あのまま夢の世界の住人であり続けていたら今頃どうなっていたかと思うと背筋が凍る。そう考えると、さゆみちゃんには感謝してもしきれないのである。

そんなさゆみちゃんは、伝説となり、モーニング娘。という世界からは去っていった。それでも、今に至るまで、この愛情はいまだに心の中に燻り続けている。時代はアイドル戦国時代、数えきれないほどのアイドルが存在する時代になった。それでも私はまだ、モーニング娘。を追いかけ続けている。もう干支が同じメンバーが存在する。年齢が半分のメンバーも存在する。もはや親戚の子供を見ている気持ちにもなるが、いまだにメンバーブログやインスタグラムをチェックし、新曲が出ればエンドレスで聴き続けている。最近は同じハロー!プロジェクトに所属するアイドルたちにも手を出しているから時間が足りなくて仕方ない。20年前の自分が見たら卒倒するほどに、毎日彼女たちを見て、応援して、そしてそれ以上のパワーを貰っている。ああ素晴らしきインターネット。ありがとうインターネット。

済ました顔で片手にスタバを持って、颯爽とカラカウア通りを歩いているときもまた、耳に流れてくるのは彼女たちのみずみずしく、そして凜とした歌声なのである。悲しいことがあって、部屋のベッドで毛布にくるまっているときに私を包んでくれるのは、彼女たちのあたたかく、それでいて不完全な儚い歌声なのである。気持ち悪いと言われても結構。私はモーニング娘。が大好きなのだ。狂おしいほどに。

 

スケバンセラピー

胸を張って言えることではないが、私は口が悪い。

と言っても、コミュニケーション能力に難のある根暗なので、他人様に面と向かって罵詈雑言を吐き散らすこともないし、某お笑い芸人のようにセンスのある悪口がポンポン出てくるわけでもない。腹が立つことがあっても精々ニヤニヤ笑ってその場をやり過ごすことしかできない。では一体どういうことかというと、心の中でたくさんの悪い奴らを飼い慣らしているのである。

別に、多重人格というわけではない。ビリー・ミリガンでもないし、磯良でもない。話が逸れるが、それら二つの、多重人格者にまつわる作品は名作であるのでぜひ読んでみてほしい。前者は実話なのでヘビィだが、読む価値はある。後者はさすが貴志祐介氏である。貴志祐介氏の著作はどれもこれも一旦読了するとしばらくは読みたくなくなる。そしてまた時間が経つと読みたくなって、また読んでしまう。その繰り返しである。ボリュームもあるから時間をかけて読もうと思っていても、一気に読んでしまって後悔するのである。話を元に戻そう。私は私として、確固たる自我がある(つもりである)。しかし、嫌なやつを前にすると心の中ではスケバンが大暴れである。一応スケバン世代ではないのだが、気持ちはスケバンだ。ヤンキーや半グレではない。暴対法に怯える方々でもない。スケバンなのだ。

心の中のスケバンは長いスカートに踵を折ったローファーで、竹刀を肩に担いでガニ股で闊歩している。バシバシになるまで脱色した髪の毛、真っ赤に塗った唇に似合うタバコ。そいつが大暴れである。心の中でピー音を撒き散らしながらツッパるのである。きっと家ではお母さんが涙を流しながら彼女の更生を祈っている。シンナー遊びをしてはいないか、眠る彼女の前歯を幾度となく見に行ったはずだ。とにかく、彼女は一通り暴れてくれる。ここには到底書けもしないようなことも言ってくれる。そして痺れを切らして彼女を回収しにきたお父さんと喧嘩するときもある。いろんなバリエーションがあるのだが、最後にはスケバンはヤンキー座りで、「ま、がんばんな」と私を励ましてくれる。そして、改造原チャリをバリバリ言わせながら夜の埠頭へ消えていくのである。そんな一連のドラマを見ていると、目の前でめんどくさいことを言っている人の講釈は大抵終わっている。

スケバンの他にも、心の中で二匹の猫を飼っている。おおむね床にドデンと寝っ転がっていて、餌の時だけのっそりと起きてくるような怠惰な猫たちである。餌をやったことがないので、もしかしたら他の誰かのところでもらってきているのかもしれない。とにかく、寝子というだけあって、いつも寝ているような猫たちだ。ところが、仕事なり何なりで私が慌て始めると、なんとそいつらは踊り始めるのである。少し昔の作品でWHAT’S MICHAEL?という漫画に出てくるマイケルという猫も踊っていたが、そのイメージに近い。私の慌てっぷりに比例するように、踊りも激しさを増してゆく。ドタバタしているとつい気持ちもイライラしがちであるが、踊り狂う猫を見ていれば多少は穏やかにいられるのだ。そんなわけで、私はその猫たちを「しっちゃか」と「めっちゃか」と呼んでいる。時々、「てんや」と「わんや」と呼んでいることもあるが、さすがに猫に「わんや」と呼びかけるのは猫の尊厳を傷つけているような気がしてならない。

そんなわけで、心の中のスケバンと二匹の猫に支えられて、今日もなんとか人間の皮をかぶって生き、「お口の悪い人」と思われずに済んでいる。もし誰かが私のことを口が悪い人と思うことがあれば、それはきっとスケバンがとうとう警察に補導されてしまったか、猫たちが脱走してしまっているかのどちらかなのだ。どちらにせよ一大事であるので、多めに見ていただけるととてもありがたい。

トンチキ論

4度目のCOVIDのワクチンと、インフルエンザワクチンを同時に接種して6時間が経った。

どっちの副反応が強く出るのかを見てみたくて、左腕にCOVID、右腕にインフルエンザを打ってもらったが、今のところ大差はない。先日、一足先に人身御供になった知人は、ちょうど6時間経った頃から熱が出始め、あれよあれよという間に頭が痛くなり、体がだるくなり、腕がとても痛くなり、そのまま丸一日寝て過ごしたという。私が両腕に打ったと聞いて、彼女は心底呆れた顔をしてくれた。今のところ私はどちらの腕も痛いような重たいような気がする程度で済んでいるので、このまま逃げ切りたいと切に願っている。

ワクチンのなんとやらについてここで論じるつもりはない。打ちたければ打てばいいし、打ちたくなければ打たなければいい。自分の体のことは他でもない自分だけが決めれば良いと思っている。私はとにかく怖がりなので、病気になりたくないから打つ。そして、「打ったのに感染したじゃんこんちくしょう」と思う方が、「あの時打っておけばよかった」よりマシだと思うから打つ。ただそれだけである。実際、コロナにせよインフルエンザにせよ何にせよ、予防接種を打ったってなるときはなるのだから、もうどうしようもないといえばどうしようもないのである。

病気になりたい、と思うのは、大変奇特な人かあるいは学校を正当な理由をつけてサボりたいと思っている学生くらいだろう。大抵の人は病気になんかなりたくないし、できれば健康でいたいと思っているはずだ。しかしながら病気になるときはなるのである。もう致し方ないのである。大切なことなので2度言わせていただいた。だから、誰かが病気になったことを咎めたり責めたりするのはトンチキのやることなのである。トンチキとは、マヌケとはトンマとかそういう意味だと解釈していただきたい。そして、それがどれくらいトンチキかというと、郵便ポストが赤いから郵便ポストは酔っ払っているんだと主張するくらいトンチキである。ちなみにアメリカのポストは青い。さながら飲みすぎて赤くなった後に青くなっている私の顔くらい青い。もし私がそうなっていたら速やかにお手洗いに連れて行ってほしい。

そこで私がトイレとお友達になっているのは、完全に自業自得である。と殊勝なことを言ってみたくもなるが、実はそれですら完全に自業自得とは言えないのである。普段は平気な量でも、自分で気付かない体調不良のせいで、いつもより酔ってしまったのかもしれない。お店の空調が暑すぎるのかもしれない。だから、一概にただ自分の許容量をわかっていない愚か者の自業自得と断罪するのは、「ややトンチキ」な行為なのである。

私はビール1杯が限界であるが、一晩中飲みつづけてもケロッとしている人はたくさんいる。羨ましいものである。一度でいいから、紹興酒をチェイサーにしてビールを飲みつづけてみたい。そう考えると、人間は実は個体差が激しい生き物なのだ。毎日ジャンクフードでも血液検査満点の人もいれば、毎日栄養学の教科書のような食事を摂っていても脂質異常症に悩む人はいるらしい。私は医学の専門家ではないが、どこかでそういった話を聞いたことがある。

すでに鬼籍に入った親戚の爺は、中学に上がる前からのヘビースモーカーだったらしい。昭和一桁台生まれの話である。記憶にあるその爺は常にタバコを吸っていた、というかむしろそうでない姿を見たことがない。その爺、「100歳になったら健康のために禁煙する」とのたまい続け、結局90そこそこで大往生でこの世を去った。そういう人間、というかそういう個体もいるのである。自分がどんな個体かすらわからないのに、他人の個体性などわかるはずもない。他の人の体のことをあれこれ詮索したり推測したり、そういう「とてもトンチキ」なことをする暇があったら、ゴミの一つでも拾っていただきたいものである。

一つだけ言っておきたいのは、今の医学はそういった膨大なデータを、頭のいい人たちが分析してなんやかんやして出来上がっているので、まともな医者の言うことは大抵正しい。ジャンクフードと栄養学の教科書定食ならば、大抵の人間は後者を食べた方がいいのである。ただ時々、そうではない人間がいる可能性があるという事実は、これまでそういった研究をしてきた人々による血と涙の結晶を上書きすることはできない。ここでn=1を盲信してジャンクフードを選ぶのもまた、トンチキと言わざるを得ないであろう。

その「トンチキ」は時に自分にも牙を剥くことがある。あのときアレをしたから病気になったとか、あのときああしなければとか、そんなことで頭がいっぱいになってしまうのである。気持ちはとてもよくわかる。どこかに理由を探したいし、何かを根拠にしておきたい。しかし過去は絶対に変わらないのである。そもそも、「あのとき」した「アレ」はそもそも関係ないかもしれない。考えたって仕方ないのである。そんなトンチキしているのは時間の無駄である。それよりも治療と療養に専念するべきときなのである。

ついついトンチキについて論じてしまった。いや、論じるなどと言ったら、真剣に論文を書いている人たちに引っ叩かれても文句は言えない。どうせトンチキについて論じると大口を叩くのなら、アブストラクトから書くべきだし、参考文献まで形式に則ってキチンと書くべきだ、と愛のこもった指導をされかねない。古今東西の優秀な医学者たちも、先輩研究者からそんな指導を受けてきたのだろうか。なんて考えているうちに、熱が上がってきたような気がする。これは副反応なのか、それとも、トンチキなことを考え続ける脳が拒否反応を起こしているのか。

わからないけれど、寝たら治るような気がする。きっと、夢にはヒポクラテスが出てくるような気もしている。

はじまりの書

人もすなるブログといふものを、私もしてみむとてするなり。
とはいえ、一体全体何を書いたらいいものかと頭を捻って早数週間。勢いで開設してみたはいいものの、早くも放置してしまっていた。三日坊主も呆れてものが言えないレベルである。
そもそも、自分のことをあれこれとここに書いたところで、誰が読んで面白いのだろうか。縁あってハワイに住み、なんだかんだでハワイに根っこを生やしてしまったものの、世の中の人が想像するようなキラッキラでハッピーな毎日とは程遠い日々の繰り返しである。キラキラできるもんならしたいのはやまやまだが、できないのだから仕方ない。私の性格がとんでもなくひねくれているクイーン・オブ・根暗だからか、はたまたこの空前絶後の物価高のせいか、南国には必ずいるあの黒光りする虫のせいか、理由は定かではないが、とにかく私は日々を生きるのでいっぱいいっぱいで、キラキラしている余裕はないのである。だから別にこれといってブログに書くこともない、といえばそれまでだが、なんだかんだ色々と書いてみたいと思うのは、10年にわたってコラムニストを続けてきたサガであろう。

ありがたいことに、紙面とデジタル版で10年も拙いコラム連載させていただき、そしてその間、多くの温かいコメントやご意見をいただいた。日本のことや、ハワイのことや、たくさんのことを書いてきたように思う。編集をしてくださっていた方は、私のしょうもないタイプミスを直す以外はそのまま掲載してくださり、私の言葉がそのまま日の目を見ていたのだ。自分の言葉が人の目に触れるということは、今思い返すと、非常に貴重な経験であった。自分の言葉に責任を持つ、というのはありきたりな言い方であるが、まさにその通り。傲慢な表現や、誰かを傷つけるような言葉遣いをしていないか、これでも一応何度か推敲してからゴーを出していたのである。不特定多数の人に見られる、というピリッとした緊張感。これがエクスタシーに変わった日には、露出狂への第一歩を踏み出したことにもなろうが、幸いにもそこまでには至らなかったことに正直安堵している。

局部を露出する露出狂は、明らかに犯罪であるが、承認欲求を露出しまくるタイプの露出狂はどうだろうか。実は、私は日々自分がそうなってはいないかと怯えているのである。局部は出せば自分でもわかる。しかし承認欲求はそうではないからタチが悪い。イイネが欲しい、コメントが欲しい、もっと見てほしい、褒めてほしい。その感情自体は人間としていわば当然のものであろうが、それがとんでもなく肥大してしまうと色々なバランスが崩れてしまうような気がする。というわけで、私が自分で気づかないうちにいろんなものを露出していたら、こっそり教えていただけると、大変ありがたい。そうしたらこっそりとコートの前を閉めさせていただこうと思う。

初っ端からエクスタシーだの露出狂だの、どこに出しても恥ずかしくない立派な変態によるブログになってしまっている。コラムニスト時代には、何があっても書けなかったようなことである。しかし、きっと、私が書きたかったのはこういうものなのかもしれない。書きたいことを、書いたいときに、書きたいだけ書く。それなら多少は続きそうな気がする。三日坊主も「それならまあ」と言ってくれそうな気がする。キッチリしていて、新聞に載るにふさわしい(と少なくとも私は思っている)文章を書いていたアノ人が、と驚かせてしまったら本当に申し訳なく思う。物価高のせいでダークサイドにでも堕ちたことにしておいて、これはこれで読んでいただけたなら、それ以上の喜びはない。